突然、下半身が動かなくり、激痛が襲い、
        そして10年以内に白血病に

 2001年の暮れ、その日もいつも通り自分で経営するレストランの厨房で、忙しく働いていた名城さんの足が、ぴたりととまりそのまま動かなくなりました。名城さん45歳の時のことです。

 胴体と両足が、まるでセメントで固められてしまったようにびくとも動きません。「どうしたのだろう?」…といぶかしく思った次の瞬間、腰から足へと激痛が走り抜けました。壁に手をついて、体を支えなければ立っていられません。

 とても料理など作っていられない状態でしたが、壁に手をついて痛みをこらえながら、調理スタッフに指示を出し、なんとかその日のオーダーはすべてこなし翌日近所の病院へ。

 ヘルニアと診断されたが、いつものヘルニアの症状とは明らかに違うと感じ、設備の整っている大学病院で受診。レントゲン撮影や血液検査の結果、「両変形性股関節症」と「腰椎・右仙腸関節強直性脊椎炎合併症」と診断。医師の説明によると、「白血球の中に潜伏するウイルスの影響によるもので、節々の軟骨が硬骨になって痛みが生じている。」との事。
  「軟骨が硬い骨になっていく病気なんてあるのか?」と驚いた名城さんですが、さらに「10年以内に白血病になる可能性が高い。」そして「原因はよくわからない。」と告げられる。「原因は食べ物でしょうか?」と聞いたら、「そうかもしれないけれども、必ずしもそうとは言えない」との返事。

 「病気が進行すると、骨と骨とのクッション役になっている軟骨がなくなるために、骨同士が直接ぶつかりあい、痛みはどんどんひどくなる。その痛みを半減させるために、人工軟骨を入れた方がいい。」と勧められるが、「いずれ硬い骨に変わってしまうのなら手術するだけ無駄なことだ」と判断し、それを断ることに。

 その日はそれ以上のことは何も考えられず、名城さんは診察室を出て帰路につきました。帰りの車の中でもまだ現実を直視できず、「どうして原因不明の病気になるのか? 何か悪いことでもしたのか?」……、いろいろなことが頭の中をぐるぐる回り始め、涙が自然に溢れ出てきて、こらえようとしても嗚咽がとまりませんでした。

 「毎日せっせと働いて、精一杯生きている私が、どうしてこんな目に……。神は罪なお方だ」。

 この時の名城さんの状況と言えば、口をついて出てくるのは恨みごとばかり。そして、肩をふるわせ、涙が枯れるまで泣き続けていました。

 

障害者認定一級に値する難病。
            それでも仕事は続ける

 発病した当初、自分の意志で動かせたのは、首と両手と両膝だけでした。歩こうにも、足は前方に15センチくらい、後方に7センチくらい、左右には5センチくらいしか動きません。毎朝、厨房の入口のたった25センチほどの段差を上がるのにも、気の遠くなるほどの時間がかかっていました。

 医師は、「名城さんの病気は障害者認定一級に値するので、国から生活費はちゃんと出ますよ。足が動かなくなったら寝たきりになるでしょうから、仕事はもう諦めた方がいいです。」と認定を受けるよう勧めてくれました。しかし、名城さんその申し出を断り仕事を続けることを決意したのです。

 名城さんは、「マリブハウス」をオープンして以来、ずっと年中無休で仕事をしてきました。難病になったからといって、店を閉めようとか、しばらく店を休もうなどとは一度も考えませんでした。「どんなことがあっても仕事は続ける!」。名城さんの意志は固く、医師も認めざるをえなかったのです。

片道10分の通勤時間が2時間に

 背中から膝までガチガチに固まってしまい、自由に曲げることができない状況下での通勤は想像を絶するものでした。発病前は10分とかからなかった通勤が、2時間くらいかかるようになってしまいました。往復にすると4時間です。

 日常生活でも、洋服の脱ぎ着や入浴、トイレなど、今まで普通にできていたことが、できなくなりました。中でも、トイレはいちばん困りました。便座に後ろ向きに立ち、ズボンや下着を指先でそろそろと下ろせるところまで下げ、あとは体を揺すってなんとか膝まで下ろします。次は便座に座りますが、なにしろ股関節が曲がらないので、スムーズにお尻を乗せられません。壁に手をついて上体を支えながらも、ドスンと勢いよく便座にお尻をつくようです。さらに困ったのは、用を足したあとの始末。背中が曲がらないのでなかなかお尻が拭けません。これが嫌で、ついトイレを我慢する癖がついてしまったのも理解できる話です。

腹式呼吸で痛みが軽減

 このように毎日、思うように動かない体と格闘し、悔し涙を流しながらも仕事を続けていました。体はまともに動きません。厨房でも最初の10日くらいは、料理をスタッフに任せて、横で指示を出すことしか出来ませんでした。

 10日ほどたったころ、腹式呼吸をすると激痛がすこし和らぐことがわかってきました。それからは腹式呼吸で痛みをコントロールし、徐々に調理ができるようになりました。鼻から大きく息を吸って、口から吐き出します。不思議なもので何回か腹式呼吸をくり返していると、痛みが緩和するだけでなく、脳細胞までが引き締まるような爽快な気分になるのです。

 名城さんは、痛みが改善した現在でも、毎日二時間くらい腹式呼吸の時間をとり、心身ともにリラックスしています。「これは、絶大な効果があります。」と、名城さんおすすめの健康法です。

「食を間違えると病気になる」

こうして、痛みは何とかコントロールできるようにはなったものの、「10年以内に白血病を発病する」と言われたショックからはなかなか立ち直れませんでした。

「自分なりにバランスよく食事をしていたのに、どうしてこんな病気になってしまったのか? いったい何がいけなかったのか?」と、いろいろなことが頭の中を駆け巡りました。

そんなときに、ラジオから流れてきた千坂先生の「食を間違えると病気になる」という言葉が耳に飛び込んできたのです。名城さんは、毎朝九時前から仕込みをしながら毎日のように千坂先生の「ヘルシートーク」を聞いていました。しかし、健康なときは千坂先生の言葉も右の耳から左の耳に通り抜けていくだけで、どれ一つ心に残っていませんでした。

ところが、発病してから聞こえてきた、「病気は食べ物で作られる。健康も食べ物で作られる。人間の体は食べ物でできているので、食べ物の良し悪しを知らずにいると、必ず病気になります」というフレーズが、ぴたっと耳にとまりました。それからは「ヘルシートーク」を毎日真剣に聞くようになり、そして千坂式をやってみようと決意したのです。

本格的に千坂式を始める決意を

 名城さんはプロの料理人です。病気になるまでの食に対する基本的な考え方は、「30品目をバランスよく食べていればいい」という教科書通りのものでした。また、「好き嫌いがなく、肉も野菜も刺身も果物も、何でもバランスよく食べていたので、健康なはずだ」という自負もあったと言います。

 現に、若いころは風邪一つひきませんでした。子どものころから元気で、学校を休んだこともなかったし、母親も健康体でしたから、自分も健康に違いないという自信があったのです。ヘルニアの気はありましたが、筋肉トレーニングも続けていて、ガチガチに硬い筋肉も自慢の種でした。

 千坂式を始めてからも2、3年の間は、相変わらず30品目を欠かさず食べていました。また、刺身やトンカツは好んで食べていましたし、お店で出す料理も味見がてら食べていました。そんな状態だったので、痛みは腹式呼吸で緩和してきていたけれども、コレというほどの手ごたえが感じられなかったのです。

 そこで、ある時から30品目をバランスよく食べることをやめて、食事は千坂式の考えに基づいたものに換える事にしました。

 


 

 


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